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2025.3.7 17:08ゴー宣道場

~光る君へ~愛子さま立太子への祈念と読む「源氏物語」第34回第三十四帖<若菜上(わかなのじょう)>byまいこ

~光る君へ~
愛子さま立太子への祈念と読む「源氏物語」

第34回 第三十四帖<若菜上(わかなのじょう)>byまいこ

 

 

「光る君へ」第37回は、美しく装丁された三十三帖の「源氏の物語」を一条天皇に献上した際に、まひろは「まだ続きがございます」「光る君の一生は、まだ終わってはおりません」と伝えていました。一条天皇を彰子に通わせるために道長が書かせた物語は敦成親王の誕生で目的を達成。第三十三帖「藤裏葉」で光る君が准太上天皇の位を得たことは、道長の栄耀栄華を予見するかのようでしたが、まひろは、実家に里下がりをして物語の続きの構想を練りつつ「罪 罰」としたためていたのでした。

今回は、数多の罪が注がれてきた器に、最後の一滴が落とされ「夫婦の絆」が揺らぐ様をみてみましょう。

 

第三十四帖 <若菜上 わかなのじょう(新春に若返りを願って摘んで食す後世の春の七草 光る君の長寿を祝う歌より 「若菜」の帖は「源氏物語」で最も長編で上下に分れている)

六条院への行幸のあたりから病がちになった朱雀院は出家を決意しますが、東宮のほか四人の皇女のうち、最も可愛がっている13,4歳の女三宮(おんなさんのみや 三番目の皇女)の身の上を案じています。西山の寺(仁和寺がモデル)の造営が終り、移り住む支度と女三宮の裳着の準備をする朱雀院は、光る君が紫の上を育てたように大切にする人はいないだろうかと考えます。降嫁(皇女が臣下に嫁ぐこと)の先には夕霧の大将、柏木の右衛門の督(うえもんのかみ 左右衛門府のうち右衛門府の長官)、蛍兵部卿宮などが候補に挙がりましたが「光る君は高貴な身分の正妻を希望している」との話を聞いた朱雀院は、女三宮を託そうと使者に意向を伝えさせました。

「私も朱雀院よりも長く生きられるか分からない。夕霧はまだ若く身分も低いが婿でも不都合はないだろう」「いっそ冷泉帝に入内させればいい。桐壺帝の後宮で弘徽殿女御は、後から入内した藤壺の尼宮に圧倒されたものだ。女三宮の母君は藤壺の尼宮の異母妹で、女三宮も美しいのだろう」という光る君は、やはり降嫁に関心を持っているようです。

裳着が終わった三日後、出家を果たした朱雀院を光る君は訪問します。「夕霧が独身の頃、婿にと申し出ていたらと残念です」などという朱雀院に「夕霧は未熟で分別も足りません。畏れ多いことながら私がお世話すれば院のお側にいる時と変わらないように思われるでしょう」と光る君は降嫁を承諾してしまうのでした。

「どうしても断れなかった」などと光る君から伝えられた紫の上は「お咎めがなければ、私は安心してここに居られるのですけれど。女三宮の母君は私の父方の叔母君という御縁があるのですもの」などと謙遜します。「そんなに寛大に許してくれるのも不安になりますが、穏やかに暮らせたら女三宮も嬉しいでしょう。嫉妬などしないように」と諭す光る君。紫の上は誰も自分の上に立つ者はないと慢心していた夫婦仲も世間の笑いものになるだろうと思いながら平静を装っています。

新年になり、光る君の四十の賀(40歳になった祝い 奈良時代に40歳は老年の始めとして、以後、10年毎に祝う習慣があった)を準備した玉鬘は、六条院の南の御殿の西の放出(はなちいで 主人の住む中央の母屋(もや)に建て増しした建物)に二人の子供を連れて訪れました。

若菜さす野辺の小松を引き連れて もとの岩根を折る今日かな 玉鬘
若葉が萌える野辺の小松、子供たちを引き連れて もとの岩根、育ての親の長寿をお祈りする今日でございます

玉鬘は香木の角盆に若菜を盛って光る君に贈ります。

小松原末のよはひに引かれてや 野辺の若菜も年をつむべき 光る君
野原の小松、子供たちの先の長い寿命にあやかって 野辺の若菜、私も年を重ねてゆけることでしょう  

二月十日(新暦で三月末頃)過ぎに、女三宮が六条院に輿入れし、西の放出に御帳台(みちょうだい 寝所)が設けられました。雅な催しが続き、さり気なく世話をする紫の上を光る君は得難く感じる一方で、女三宮は未熟で、あまりにも張り合いがないと思います。輿入れから三日間は女三宮のもとに通わねばならない光る君ですが、紫の上の夢を見て、夜も暗いうちに東の対に戻ります。夜着(よぎ 寝具)を引きのけると紫の上は涙に濡れた袖を隠し、優しくも打ち解けてはみせない様子が魅力的で、光る君は女三宮と比べてしまうのでした。

出家した朱雀院は寺に入り、朧月夜は亡き姉・弘徽殿の大后のいた二条の宮に住むことになりました。朧月夜は尼になるつもりでしたが、朱雀院が止めたので、少しずつ出家の準備などをしています。朧月夜が一人で暮らしていると知って二条の宮を訪ねた光る君は、再び関係を持ってしまいました。

人目を忍び、寝乱れた姿で六条院に戻った光る君を見て、紫の上は事の次第を察しながらも気づかないふりをしています。光る君は嫉妬されるよりも辛くなって、紫の上に来世までの愛情を誓いつつも「朧月夜に、もう一度会いたいのだが」と打ち明けます。静かに笑みを浮かべ「若返って昔の恋まで加えられて、頼るあてのない私は辛くて」と涙ぐむ紫の上。光る君は紫の上の機嫌を取り続けて女三宮の方へは行こうとしないのでした。

東宮に入内した明石の女御(明石の姫)が懐妊し、里下がりのために女三宮の寝殿の東側に女御の部屋が設けられました。紫の上が女御を訪ねる際に女三宮にも挨拶をしている間に、光る君は再び朧月夜のもとに行ってしまいます。

女三宮と会った紫の上は、自分との縁などを話します。紫の上が穏やかに、絵や人形遊びのことなどを話すので、女三宮は安心して、その後は文を交わしたりするようになりました。降嫁によって光る君の紫の上への寵愛が、かえって増したので女三宮に同情していた人々もいましたが、二人が仲良く付き合っているので、万事丸く収まるのでした。

年が明けて、明石の女御の出産が近づき、葵上をお産で亡くした光る君は、絶え間なく安産の祈祷をさせています。二月に入って女御は容体が変わって苦しみ、陰陽師たちも場所を変えて用心した方が良いと言うので、女御は明石の君の西北の町に移りました。祖母の尼君は喜んで女御の側で仕えては、これまでのことを話します。女御は明石で生まれた事情を聞かなければ何も知らないままだったと悟り、泣くのでした。

三月の十日(新暦で四月中旬)過ぎに女御は皇子を安産し、産養い(うぶやしない 出産の祝い)の儀式のため、南の御殿に戻りました。明石の入道は全ての念願が叶ったので、深い山に入る決心をし、明石の君に今生の別れとなる文と、住吉神社に立てた願文の入った香木の箱を送ります。入道は明石の君の誕生の際に「右の手に捧げていた須弥山(しゅみせん 世界の中心にそびえるという高山)の左右から月と日の光がこの世を照らしつつも、自分には光が当たらず、やがて山を広い海に浮かべて、小さな舟に乗って極楽浄土を目指して漕いでゆく」という夢を見ていたのでした。

明石の君は、父・入道が光る君との縁を結んだのは、夢をあてにして理想を高く持ったからと悟ります。尼君は入道に二度と会えないことを悲しみつつ、ひ孫が東宮に上るかもしれないと喜びます。明石の君が願文の箱と文を女御に見せて、立后の際に願ほどきをするように伝えていると、光る君が女三宮のところから襖を開けて入ってきました。入道の願文を読んだ光る君は「昔の事情が分かっても、紫の上の好意を疎かにしないように」などと女御に諭しました。

夕霧は降嫁を考えていなかったわけではなく、南の御殿の寝殿の様子が気になっていますが、女三宮の人柄はおっとりとしているばかりで、女房たちも浮ついているようです。紫の上の人柄の素晴らしさに感心し、五年前の野分の夕暮れに見た美しさを思い出してしまう夕霧は、雲居の雁を愛しく思いつつも平穏な生活に飽き足らないので、女三宮を拝する機会がないものかと思っています。

柏木は朱雀院に親しく仕えて女三宮への求婚も伝えていたので未だに諦められません。「紫の上の威勢に圧されている」との噂を聞けば「自分ならそんな思いはさせないのに」などと女三宮の乳母の子で女房をしている小侍従を責め立てつつ「もし光る君が以前から願っている出家を果たしたなら」と思い詰めています。

三月頃(新暦で四月頃)のうららかな日、光る君は南の御殿の庭で蹴鞠をさせて見物します。日が暮れかかり、桜の花が降りしきるなか、技を競い合った夕霧が寝殿の階段に腰を下ろしているところに来た柏木は、女三宮のいるあたりに流し目をくれました。

ふと、長い綱を付けた唐猫が飛び出して御簾を引き開けて、華奢な、髪のふりかかった横顔が言葉にできないほど上品で可愛らしい女三宮の姿が見えてしまいます。夕霧が咳払いすると、女三宮は奥に入ってしまいましたが、柏木は袿姿(うちきすがた 略装でくつろいだ姿 女房は袿の上に裳をつけて正装する)の女三宮が忘れられず、唐猫を抱き上げて移り香や鳴き声を恋しい人のように愛しんでいるのでした。

太政大臣の邸の東の対に住んでいる独身の柏木は、女三宮に思いを伝えようと小侍従に文を遣わします。

よそに見て折らぬ嘆きはしげれども なごり恋しき花の夕影 柏木
遠くから見るだけで手折れぬ嘆きは深いけれど 夕日に照らされた花、あなたが名残惜しいのです

小侍従は蹴鞠の日の事情を知らず、ただの恋の物思いとして「こんな文は煩わしいのですが、見るに見かねてしまいそうで自分の心が分からなくなりますわ」と笑って女三宮に伝えます。

「嫌なことを言うのね」と言いながら文を見た女三宮は、御簾が引き開けられた時のことを思い合わせ、光る君から「夕霧に見られないようにしなさい」と戒められていたのを思い出します。「夕霧が光る君に話したら、どんなに叱られるだろう」と、柏木に見られてしまった不都合は考えずに、光る君のことを怖がる幼い子供のような女三宮なのでした。

 

***

 

光る君が40歳にして14歳の女三宮を正妻としました。六条院という疑似後宮を作った光る君が今の還暦にあたると思しき齢で降嫁を承諾したのは、准太上天皇の立場をさらに盤石にしたいという欲望が生じたためと思われ、内親王が嫁がれた旧宮家が女系で皇室と近縁となった様が髣髴とします。

女三宮の降嫁によって、自分が正妻ではないと思い知らされた紫の上の絶望感は、紫のゆかり、藤壺の姪同士であるがゆえに、より深いはず。光る君のフォローも虚ろに響くだけでしょう。

「光る君へ」第26回で、彰子が当初、感情を表に出さず、道長から入内を仄めかされた際にも「仰せのままに」と繰り返し、弟からも「ぼんやり者」と言われていた様子に、女三宮を連想した方も多かったようです。

11歳で入内した明石の君が皇子を出産したのは13歳で、父の光る君は41歳。12歳で入内した彰子が、9年経ってからようやく21歳で敦成親王を出産した際、道長は43歳。紫式部の描いた物語は、こうあって欲しい理想に現実を取り入れているように見えます。

「光る君へ」第43回で、倫子が道長に「殿が心から愛でておられる女が何処ぞにいるのだと疑って苦しいこともありましたけれど、今はそのようなことは、どうでもいいと思っております。彰子が皇子を産み、その子が東宮となり、帝になるやも知れぬのでございますよ。私の悩みなど吹き飛ぶくらいのことを殿はして下さった。何もかも殿のお陰でございます」と伝えていたのは、紫の上に娘を渡して悩みながらも、明石の入道の夢を叶えた明石の君に重なります。

育て上げた明石の姫を実の親に返した上に、正妻のようだった立場も明け渡してしまった紫の上。罪の器に最後の一滴を落としてしまった光る君は、どんな罰を被ることになるのでしょうか。

 

【バックナンバー】
第1回 第一帖<桐壺 きりつぼ>
第2回 第二帖<帚木 ははきぎ>
第3回 第三帖<空蝉 うつせみ>
第4回 第四帖<夕顔 ゆうがお>
第5回 第五帖<若紫 わかむらさき>
第6回 第六帖<末摘花 すえつむはな>
第7回 第七帖<紅葉賀 もみじのが>
第8回 第八帖<花宴 はなのえん>
第9回 第九帖<葵 あおい>
第10回 第十帖 < 賢木 さかき >
第11回 第十一帖<花散里 はなちるさと>
第12回 第十二帖<須磨 すま>
第13回 第十三帖<明石 あかし>
第14回 第十四帖<澪標 みおつくし>
第15回 第十五帖<蓬生・よもぎう>
第16回 第十六帖<関屋 せきや>
第17回 第十七帖<絵合 えあわせ>
第18回 第十八帖<松風 まつかぜ>
第19回 第十九帖<薄雲 うすぐも> 
第20回 第二十帖<朝顔 あさがお>
第21回 第二十一帖<乙女 おとめ>
第22回 第二十二帖<玉鬘 たまかずら>
第23回 第二十三帖<初音 はつね>
第24回 第二十四帖<胡蝶 こちょう> 
第25回 第二十五帖<蛍 ほたる>
第26回 第二十六帖<常夏 とこなつ>
第27回 第二十七帖<篝火 かがりび>
第28回 第二十八帖 <野分 のわき>
第29回 第二十九帖 <行幸 みゆき>
第30回 第三十帖 <藤袴 ふじばかま>
第31回 第三十一帖<真木柱(まきばしら)
第32回 第三十二帖<梅枝(うめがえ)>
第33回 第三十三帖<藤裏葉(ふじのうらば)>

 

 


 

 

 

前回の第三十三帖「藤裏葉」で「源氏物語」の第一部が大団円を迎え、まずは丸く収まったところにひとまず安堵を感じたところでしたが、第二部はいきなりとんでもないことになってきました!
これじゃあ、あまりにも紫の上が可哀想すぎます。
これまでも散々、大概にせえよと言いたくなることばかりやってきた光る君、それでも今までは何となく許せてしまう感じがあったものですが、今回はそれとは明らかに違います。
まさに、表面張力で保っていた器の水に注がれた最後の罪の一滴。
一体どうなってしまうのでしょうか…?

 

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第121回 令和7年 3/15 SAT
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テーマ: ゴー宣DOJO in大阪「天皇は双系が伝統である!」

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